おはようございます、beataです。
ところで先日ある方から、
少しクスッと笑えて、けれどどこか考えさせられる話を聞きました。
彼の家の目と鼻の先、歩いて1分ほどの場所に、
地域でも一、二を争う評判のラーメン屋さんがあるそうです。
彼はラーメンが大好きなのですが、
実は一度もその暖簾(のれん)をくぐったことがありません。
ある日、ネットで調べて開店時間ちょうどに行ってみると、
中に店主はいるのに「まだやってない」と素っ気なく返され、
「何時からですか?」と尋ねても「わからない」と言われてしまう。
別の日にもう一度行ってみても、まったく同じ対応をされて、
とうとう足が遠のいてしまったのだそうです。
気になってさらに調べてみると、
その店にはそもそも看板すら掲げられておらず、
店の前の自転車のカゴに入った「色のついた札」の意味を事前に知らなければ注文すらできない、
という驚くべき仕組みでした。
いわゆる、〝初見殺し〟のお店ですね。
誰が見ても、新規のお客さんにはあまりにも不親切なこの店が、
なぜ行列を作り、潰れることなく熱心なファンに支えられ続けているのか。
それは、言うまでもなく、
ただひたすらに「ラーメン自体の圧倒的な価値」があるからです。
私たちはビジネスをしていると、
つい「接客の丁寧さ」や「人当たりの良さ」、
あるいは「心地よい関係性」で選ばれようとしてしまいがちです。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
「〇〇さんが担当だからお願いするよ」という言葉は、
経営者にとっても、スタッフにとっても嬉しいものです。
けれど、もしもその関係性の根底に、
冷徹なまでの〝商品の本質的価値〟が抜け落ちていたとしたらどうでしょうか。
もしその担当者が去ったとき、
残された会社やお客さんとの結びつきは、
まるで霧のように消え去ってしまうかもしれません。
人が本当に深く惹きつけられ、
何度もその場所へと帰ってくる理由とは、一体何なのでしょうか。
私たちはどこかで、
「人に愛されること」と「価値を届けること」を混同してしまいます。
けれど、本当のリピートとは、
愛想を振りまくことでも、空気を読むことでもなく、
その商品やサービスを通じて、
〝相手の世界にどんな変化を起こせたのか〟という手応えそのものなのです。
親切さや愛嬌という名の器(うつわ)がどれほど美しくても、
そこに注がれる水が濁っていれば、人は喉の渇きを潤すことはできません。
逆に、どれほど不器用な器であっても、
そこに湧き出る水が真に澄み渡っているのなら、
人は自ら険しい山を登ってでも、その一口を求めにやってくるのです。
経営とは、愛される自分を演出することではなく、
ただ純粋に、世界へ差し出す〝価値の純度〟を高め続ける祈りのような営みなのかもしれません。
もし今日、少しだけ余白の時間が持てたなら、
ノートを広げて、自分自身にこんな問いを投げかけてみてください。
「もし、自分たちの愛想や関係性というオブラートをすべて剥ぎ取ったとしたら、
そこに残る〝商品の力〟だけで、誰かの人生を動かせているだろうか?」
その小さな問いが、
あなたのビジネスをもう一段深い場所へと連れて行ってくれるはずです。

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