おはようございます、beataです。
最近社長とお話しさせていただく中で、とてもよく耳にする言葉があります。
「うちの強みは、とにかく商品の品質(ひんしつ)が良いことなんです」
素晴らしい姿勢ですし、ものづくりやサービスへの誇りは、経営の尊い核(かく)でもあります。
今日はこの「品質を磨く」ということの本質について、少し深めていければと思います。
私たちはどこかで、こんな言葉を固く信じてはいないでしょうか。
「売上を伸ばしたいなら、商品を改良しなさい。より良いものが、市場を制するのだから」と。
確かに、磨き抜かれた品を提供することは、手渡す側としての誠実さであり、誇りでもあります。
けれど、それと「届くかどうか」は、まったく別の次元の話なのかもしれません。
山奥の職人が半生をかけて削り出した一輪挿しの繊細な曲線を、通りすがりの旅人が一目で理解できないように、磨けば磨くほど、その深みは専門家だけの「密室の言語」へと変容していきます。
精巧になればなるほど、構造は複雑になり、素人の目からはその凄みが霞(かす)んで見えなくなってしまう。
良かれと思って重ねた工夫が、買い手との間に目に見えない壁をつくってしまうという、切ない現象が起きるのです。
ここで少し、意識の階層を別の角度から覗いてみましょう。
人は、本当に「品質の絶対値」を選んでいるのでしょうか。
実は、人が手に取っているのは、機能や技術という名の数値ではなく、
その奥に漂う『空気感』であり、自分自身の心が求める『気配(好み)』なのだと思います。
たとえば、プロが唸る最高峰の名店よりも、「一番売れています」と札の立った棚へ、人は自然と手を伸ばします。
みんなが選んでいるという安心感—つまり「共鳴(きょうめい)」を買っているのです。
『価値とは、相手の心という鏡に映し出された影の姿である』
こちらがどんなに眩しい光を放っていても、相手の鏡に映る言葉やイメージに翻訳(ほんやく)されていなければ、存在しないのと同じになってしまう。
品質を高める行為は、既存のお客様への愛情表現としては最高のものですが、新しい出会いを引き寄せる力とは、また別の響きを持っているのです。
もし今、自慢の品が思い通りに届いていないと感じるなら、これ以上、奥へ奥へと磨き込むのを一度だけ休んでみてください。
そしてその素晴らしさを予感させる「手前の雰囲気(イメージ)」や「街の噂(声)」を整えてあげること。
難解な物語を、誰でも触れられる優しい詩に書き換えて手渡すような試みです。
明日、自社の商品やサービスをふと見つめ直すとき、
「これはプロの目線か、それとも初めて出逢う人のまなざしか」と、静かに問いかけてみてください。
たったそれだけの視点の切り替えが、止まっていた風を再び通わせるきっかけになります。


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